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011「揺れる春、遠き空の下で」

  • 2025/06/21

40歳になったばかりの春、僕の人生はまたひとつ、大きな岐路を迎えていた。商社マンとして15年以上、国内外を飛び回ってきた。長期出張、単身赴任…そのたびに妻には家庭を任せ、僕は仕事に打ち込んできた。25歳で結婚した時、僕はまだ入社3年目の若造だったけれど、妻はどっしりと構えていた。「あなたのやりたいようにやって」と笑ったその顔に、何度も救われた。

そして、今。僕たちには中学3年の娘がいる。口数は少ないが、時折ふと見せる笑顔が妻そっくりで、僕はそれを見るたびに、ああ、ちゃんと育ってくれたな、と安心する。妻は昼間はパートに出ていて、家庭のことも、学校のことも、ずっと一手に引き受けてくれていた。

そんな折、娘が口にした。「高校に行く前に、1年間、留学したいの」食卓の静寂が一瞬、凍ったような気がした。炊きたてのご飯の湯気が、まるで夢の中の霧のようにゆらゆらと揺れていた。「留学?」と、妻が言う。箸を持つ手が止まっていた。「うん。中学の英語の先生が、私に向いてるって。学校のプログラムもあるし、やってみたいの」「でも…高校は?受験は?」「帰ってきてからでも、遅くないって。向こうでも勉強は続けるし、英語ももっとできるようになりたい」娘は真剣だった。僕は心の中で拍手を送っていた。挑戦したい気持ち、それをちゃんと伝える勇気。それは間違いなく、今の彼女の“生きた証”だった。

でも、そのタイミングと同じくして、会社からアメリカ・ダラスへの1年間の赴任の話が舞い込んできた。以前も数回、短期の海外出張はあったが、今回は1年。正直、僕にとってもキャリア上の大きなチャンスだ。経営に近いポジションで、現地法人との連携を担う任務。今後の昇進にも大きく関わってくる。

その話を妻にした夜、僕は提案した。「この際、家族全員でアメリカに行かないか? 娘も留学したいって言ってるし、だったらみんなで一緒に向こうで生活してみるのも悪くないんじゃないか」けれど、妻は即座に首を振った。「無理よ。私は行かない」「なぜ?一緒にいたいって…思わないのか?」「そういう話じゃないの」妻は視線を外したまま言った。「私は、ここにいる理由がある。パートの仕事もあるし、母のこともある。娘の学校のことも、ちゃんと見ていたい」「でも、それって――」「あなたはいつも、先に“自分の予定”を決めてから、私たちに合わせろって言う。でも、私と娘には、私たちの“今”があるのよ」返す言葉が見つからなかった。たしかに、いつも僕はそうだった。仕事の都合が先にあり、家族には「協力してくれ」「ついてきてくれ」と言い続けていた。「…すまない。でも、今回だけは、違うと思ったんだ。娘も海外に行きたがってる。家族の未来を考えるなら、一緒に――」「未来は、あなた一人で決めるものじゃないわ」その晩、僕たちは背を向けたまま、眠れぬ夜を過ごした。

数日後、娘と二人きりになったタイミングで、僕はそっと聞いた。「留学、本気なんだな」「うん。でも、ママが心配してるのも分かる。私がいないと、家、寂しいと思うし」「寂しいよな。でも、お前がやりたいことなら、全力で応援したい」娘は少し目を伏せた。「パパはアメリカ、行くんでしょ?」「ああ。行くつもりだ。…できれば、お前も一緒に、と思ったんだけどな」「もし私が、パパと一緒に行くって言ったら、ママはどう思うかな」その問いに、僕は答えられなかった。

再び、家族三人で話し合った夜。テーブルには、いつものように妻の作った温かい料理が並んでいた。「もう一度、ちゃんと話そう」と僕は切り出した。「俺も、本当は一人で行きたくなんかない。でも、仕事のチャンスは大事にしたい。娘の気持ちも尊重したい。…だからこそ、家族で向き合って考えたいんだ」しばらく沈黙が流れた。「私も、意地を張ってたかもしれない」と妻がぽつりとつぶやいた。「でも…正直、不安だった。あなたと娘がいなくなるのが。家に一人残されるのが、怖かったのよ」「一人になんてしないよ」と、僕は言った。「こっちが“本気で考えてる”って伝わるまで、足りなかっただけだ。…悪かった」娘はそっと手を挙げた。「じゃあ、私が先に行ってみるっていうのはどう?パパはアメリカ、私は留学先。ママは日本で待ってる。1年間、みんな別々だけど、それぞれ頑張って、また戻ってくる。…ダメかな?」僕と妻は顔を見合わせた。「寂しいわよ」と妻が言った。「でも、あなたがそう言うなら…応援するしかないわね」その夜、娘は留学先のパンフレットを広げながら、はしゃいでいた。英語の勉強、ホストファミリー、現地の文化。どれもがキラキラとした夢のようで、僕はあらためて思った。この子は、もう「子ども」じゃない。自分の人生を自分で選び、歩き始めている。そして、妻もそうだ。長年僕を支えてくれたその強さと、日常を守る責任感の中で、彼女は「今の生活」そのものを大事にしていたのだ。家族全員で同じ場所にいられないことは、寂しい。でも、それぞれの意思が交差しながらも、互いを想い合えるなら、どこにいても「家族」は家族なんだ。

その春。娘は1年間の留学へ、僕はダラスへ、そして妻は千葉の自宅を守る。離れて暮らす日々の中で、週末のオンライン通話が、僕たち三人の小さな“団らん”になった。時にすれ違い、時に衝突もする。けれど、それでも――「ちゃんと向き合う」ことを選んだ春は、確かに、家族の絆をもう一歩だけ、強くしてくれた気がする。